「出世」をエサに部下からやりがい搾取する会社の心理を考察してみました。

「出世」をエサに部下からやりがい搾取する会社の心理を考察してみました。

2021/1/07(木)
上司と部下

みなさんは出世したいですか?サラリーマンの醍醐味の一つとも言えますが、そんな出世コースに乗せる代わりに、常識はずれな役割と責任を持たせて給料はびた一文上げず、「やりがい搾取」されてしまうケースが存在しています。即答して引き受けておいて後で交渉すれば良いというのは大間違いですので、十分注意しましょう。

 

目次

 

「出世」をエサに30代のサラリーマンを搾取する組織

「〇〇の役割、やってみないか?」上司から昇進や昇格の内示を受け、会社から正式な辞令を持ってその役割を与えられ、責任を持つことになるのが一般的な会社組織の在り方です。

中には本人の意欲が高いがために、「その役割、僕にやらせて下さい。」と社員自ら打診するケースもあります。人事のことも絡むので、役職はつけられないが、仕事内容として任せるかどうかは上司の裁量です。その場合は給料アップなど当然見込めませんから、やりがい搾取というトラブルにはなりません。

厄介なのは、さりげなく仕事を振り続け、振られた社員が「あれ?何かおかしいぞ?」と気付いた時です。上司に自分に役割が与えられたのかと確認すると「君はやってみたいのか?」と逆質問してきます。この時上司は、完全に計算してそういう態度を取っていますので要注意です。もしそこであなたが少しでも出世したい(または勉強になるからまずやってみよう)と考えて“Yes”と答えると、あなたが自らその役割を希望したことになります。この流れで役割を与えられると、会社(又は上司)からいいように使われてしまいます。

例えば課長とその直下の係長が犬猿の仲だとしましょう。課長は係長に一定の権限を与え代わりに責任も持たせて課のマネジメントに携わらせます。しかし係長は上司である課長の考えを理解できず、権限も要らないから責任も持たない、と課長に全く協力しません。困った課長は主任か一般社員に課のマネジメントに参画させようと考えます。なぜなら一人では仕事が捌ききれないため、仕事を振って自分の負担を軽くする事ができるサポート役を欲するからです。しかし主任と一般社員は自ら「係長の役割、自分が手伝います」なんて言ってきません。そこで課長はさりげなく仕事を振り、自ら質問させるのです。「これは係長の仕事ではないのですか?私がやるんですか?」と。

課長の答えはこうです。「お前はやってみたくないのか?将来上を目指しているんじゃないのか?それならいち早く上の仕事を知っておいて損はないだろう。」こうやってうまく誘導して「やってみたいです!」という社員を探します。会社としての命令ではなく、自ら立候補したのであれば、部下から役割と責任の引き換えに給料や手当の要求は筋の通った話になってしまいます。しかしあくまでチーム内の役割を自ら引き受けたい、という形をとれば、後から部下が「給料を上げてくれ」と要求してきても突っぱねる事ができます。これが「やりがい搾取」です。

 

成長意欲を建前にして、役割を完遂させようとする

給料を上げてもらえないのなら、当然「この役割は辞めさせてもらいます。」というのが部下の言い分です。しかし上司もバカではありません。そう簡単に辞められてしまっては上司も仕事の振り先が無くなって困ります。

「一度引き受けたことをそう簡単に投げ出すのか?」

「ちょっと気にくわない事が起きるとすぐに投げ出して逃げるのか?お前はそんなに卑怯者なのか?」

正義感をくすぐり、何とか踏みとどまらせようとしてきます。当然、ここで辞めたらこの上司からの推薦は期待できなくなると思うでしょう。しかしよく考えていただきたいのですが、元はと言えばこれは課長と係長の問題です。課長のサポート役の責任を係長が担うのは当然のことです。それを自分が係長を手懐けられないが為に、さらに下の部下に役職も給料も手当も上げないけど、「これは本人の将来のためだ」という見え見えの嘘で本当はただ自分が困るから助けて欲しいという本音を隠してタダ働きさせようとするセコイ上司に気に入られる必要なんて、何一つありません。さっさと見切りをつけて自分の成長のために時間を使うことをお勧めします。

 

人を見る目を養うトレーニングだと割り切るのもアリ

ただ、人にいいようにコキ使われる経験は貴重です。しておいて損はありません。実際、本当に自分の為に平気で人を使える人間はそういません。本音がバレれば周りから信用されなくなり、一気に人がいなくなりますから、普通は遠慮してしまうものです。それでもあなたから搾取してコキ使おうとする人がいるのであれば、あなたに対するその人のこれまでの接し方を思い返し、どの時点で自分は手の平に乗せられたのかが自覚できます。人を見る目が養われるのです。

「この人は最もらしいこと言っているけど、肚の中では違うこと考えているな。」と言う違和感を感じられるようになります。こういう感覚は、過去に “話が違うぞ?” という経験が活かされて身につくものです。ちょっとした勉強だと思って手の平で踊らされる時期があってもいいかもしれません。